塾長の中学時代を振り返ろう!「部活編 第2弾」

まずは恒例の「桜レポート」から。

塾の目の前の総合文化公園の桜は、五分咲き~六分咲きくらいでしょうか?

満開になるにはあと少し、というところでしょう。

今日の写真↓

ところで、新元号が決まりましたね。

「令和」だそうです!出典は万葉集とか。

平成に変わった時もそうでしたが、初めは馴染みがなくて親しみが持てない気がしても、徐々に慣れていくのでしょう。

「令和生まれ」の子たちが、うちの塾に来始めるのは「令和11年」以降になるでしょうか。(現行の体制では、さくら進学は小学5年生から受講可能なため。将来は変わってるかも?)

さて、そんな未来のことにも思いを馳せつつ、過去にも目を転じてみましょう!

先日、第1弾をお届けした「塾長の中学時代を振り返ろう」シリーズです。

その記事はこちら↓

今日は(今日も?)まず初めに、塾の目の前にある総合文化公園の「桜レポート」からお届けします! ちょこっとだけ公園に様子を見に行ったとこ...

今日はその続きです。

もしよろしければ、お付き合いください。

塾長の中学時代 「部活編 第2弾」

最近は部活動に関して、何かと問題点も指摘され議論もされていますが、今の時代に私たちがやっていたような練習量の部活があれば、真っ先に叩かれているでしょうか?(苦笑)

それとも宮崎県の部活動の練習量は多いらしいので、あんまり目立たないかな?

それくらいY先生の指導は熱心でした。ここまででも十分伝わっているとは思いますが。

さらに言えば、今の時代ならこれこそ大問題になりかねないことですが、ビンタという名の愛のムチ!!また、いい音がするんですよね~!

同じ体育館で練習中の、他の部活の子たちが思わず振り返っちゃうくらいの大きな音がw

「あ~また卓球部が怒られてる。うちの部は厳しくなくて良かった~。」

なんて思われてたんでしょうか?(^_^;)

怒られるのは、プレーに関してというよりはそれ以外の面についての方が多かったかもしれませんね。いくつか例を挙げてみましょう。

例1)先生が練習場所に来られた時に、挨拶の声が小さいと言われ、いったん練習は中断。

体育館の端に一列に並んで反対側の端にいる先生に大声で挨拶して、十分声が聞こえたら、

その生徒から順に練習を再開するとか。

例2)練習の途中で、先生が会議のために職員室に戻らねばならず、その間は自分たちで

練習メニューを進めておくよう指示があります。当然みんな先生がいない解放感から、

だらだらプレーしたり、おしゃべりしたり、ふざけあったりするわけです。

が、実は先生はすぐに戻ってきており、体育館の2階の陰から見張っていて、

その後こっぴどく叱られ、全員でスクワットしたりとか。

例3)試合会場で「集合」がかかり、2階の観覧席から1階のフロアまで移動します。

時間が掛かり過ぎるとアウト!「先輩たちは2秒で集合できてたぞ」と言われ、

他校の選手なども大勢いる中で、わざわざ2階にいったん戻り集合のやり直しをするとか。  ニビョウトカ、トビオリントムリヤシ(>_<)!

他にもまだまだありますが、これくらいにしておきましょうw

ただ、そこまでしごかれて、叩かれて、怒鳴られて、「やる気がないならやめろ!」と言われても、退部するメンバーはほとんど居ませんでした。

その猛練習の結果は?

Y先生がそこまで熱心に指導してくださった理由は、やはりチームを強くしたいという熱意に溢れていたから以外にないでしょう!

その結果、実績はどうだったのか。

2年連続で団体戦での全国大会出場です!!

(個人戦ではありません。個人として最も勝ち進んだ者でも、県大会ベスト4ぐらいだったでしょうか)

ちなみに私が中2と中3の時です。

特に、私たちの代が3年生の時の最後の夏の大会は、地区予選・県大会・九州大会でそれぞれ優勝して、最終的に全国大会のベスト8まで勝ち進みました。

(母校の敷地の片隅には、それを記念して石碑が建てられています!)

ちなみに、大会終了後に出場者に記念のパネルが配られました↓

↓27年前の私w 細っ! 頭がデカく見えるのは、写真の撮り方のせいです、きっと!w

ところでその最後の夏は特に忙しかったですね。

ずっと試合が続き、もちろん日々の練習はそれまで以上に熱が入るし、試合のない週末には高校生に相手してもらったりもしましたね。

ちなみに、夏休み中に3回あった登校日は全て大会期間と重なり欠席でした。

そのうちの2回目(おそらく8月11日前後)の登校日には、九州大会@沖縄に向かってる最中でした。

その時のことがすごく印象に残ってます。

余談の中の、さらに余談ですので興味がなければ読み飛ばしてください(*^_^*)

沖縄にたどり着くまで・・・

当初の予定では、朝早くの飛行機で出発する予定だったため、地元(都城)から宮崎空港まで移動したものの、台風接近中で飛行機が飛ぶかどうか不明でしばらく待ち時間がありました。

今みたいにネットで運行状況が分かるわけではなく、とりあえず空港に行って待機せねばならなかったのです。(今は便利になりましたねー。)

その待ち時間中、ただ空港のロビーで、ぼーっとしてるのはもったいないということで、先生から「2人一組になり、おんぶしてダッシュせよ!」と指示が下りました!

さすがに空港の建物内ではなく、もちろん外です!

が、台風のせいで人数は少ないとは言え、近くを他のお客さんが通ります。

先生の指令となれば絶対です。仕方なく何往復かしましたが・・・

さすがにこれは、ハズカシイ!!!(@_@;)

先生も言ってみたものの、あまり意味がないと思ったのか次の行動に出ます。

空港近辺にある中学校に片っ端から電話し始めました。何のために?その日、卓球部が練習している学校の体育館を借りて、少しだけでも練習させようというのです!

そして見つかった空港から約15分の学校に行き、体育館の一角を借りて練習を…。

今思えば、先生のその発想力・行動力に脱帽ですが、ちょっと想像してみてください。

その学校の生徒たちは夏休みの部活動で練習してるわけです。

そこに地元でもない、練習試合に来たわけでもない、予定にあったわけでもない、そんな他校の生徒たちが突然現れ、自分たちの卓球台の一部を(無理やり奪い取ったわけではありませんが)使い、しかも試合用の揃いのユニフォームで練習を始めたら…。

白い目で見ちゃうでしょう!

こっちからしたら、気まずいのなんの!(^_^;)

幸いにも練習時間は1時間も無かったでしょう。

先生はその間に何度か空港に電話を入れ続け、欠航が決まったことを確認しました。

練習を切り上げた私たちはちょうどお昼だったこともあり、その学校のすぐ近くの定食屋で昼食を。

その当時はそこがどの辺りなのか分かりませんでしたが、なんと!偶然にも現在はその近くに住んでいます!

その中学校は菜穂子先生の母校である赤江中でした。その節はお世話になりました!

昼食後、いったん地元に帰りました。各自、家に一度戻り方針が決まるまで待機ということになりました。

さて、飛行機では行けなくなったけど、九州大会は日程通りに行われる(はず)!

始まるのは明後日から。でも、明日になってもまだ台風が行き過ぎてなければ、飛行機は飛ばないままかもしれない。何とかして、遅くても明日中には沖縄に着かなくては!

ということで、急遽決まったのが鹿児島→沖縄をフェリーで行くという方法でした。

そもそもフェリーという手段があることも当時の私は知りませんでした。

そして、飛行機ならあっという間に着いてしまう鹿児島⇔沖縄間が、なんと約25時間かかるというではないですか!

しかも目指していく方向からこちらに向けて、台風が迫ってきてるわけです!

フェリーのような大型船は酔わないはずが、ほぼ全員ひどい船酔いw

後でクラスメイトから聞いた話によれば、登校日の全校集会にて校長先生からは

「卓球部はみんな元気で、無事に沖縄に向かっているそうです」との報告が。

いやいや、校長~!船酔いで代わりばんこにトイレに駆け込んでたんですけどー(>_<)

部活動最後の日々は・・・

そんなことがありながらの船旅でしたが、なんだかんだ楽しかったです♪

仲間と一緒に過ごせるのも、あと少しだとみんな口には出さなくても感じていたでしょうし、九州大会を勝ち抜いて、全国大会に行く100%の自信があったわけでもありませんでした。

先生は自信があったみたいでしたが、私たち選手は、全国大会に行けるかもしれないとは思っていても、確信はありませんでした。

それよりも、もう少し長くこのチームと過ごしたい、まだ終わりたくないという気持ちが強かったかもしれません。

あんなにきつい練習を毎日繰り返してきたのに、です。

負けたら、もう解放されるのに、です。

それくらい、部活に打ち込んできた日々が充実していたということでしょうね。

結局、その九州大会も優勝することができ、部活の日々はそこから更に全国大会までの10日間ほど延びて、終わりを迎えることになりました。

えー・・・前回以上に長くなってしまいました(+o+)

次回で部活編は完結編にしたいと思います。

次回、第3弾「部活から学んだこと」 乞うご期待!!

それでは今日はここまで。

As it will be good day tomorrow.

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